安田純平さん帰国

3年前、初めて知人の取材旅行に付き合った時期に、安田さん拘束のニュースが流れた。
真っ先に思い起こされたのは、同じくジャーナリストの後藤健二さんと民間人の湯川さんが殺害された事件のこと。あの事件を想起させる状況に、絶望にも似た恐怖心が沸いた。


その当時にわたしが同行した取材現場はあるアジアの国だ。もちろん紛争地ではないが、フリーランスのジャーナリストが海外をうろつくというのは危険が付きものだということは身に染みた。例えば日本と政治体制が違うから、些細な言動が現地の警察に咎められることがある。あるいは、現地人を警戒させないためには彼らの習慣を身に着けることが必要だ。紛争地での取材は、一つの間違いが生死にかかわるような張り詰めたものなのだろう。


後藤健二さんは、あの事件で良くも悪くも日本中にその名が知れた。だから、当時のわたしは、ある見方からすれば、後藤さんはあの事件でジャーナリストとしての役割を果たしたと言えるのではないかと思った。わたし自身もあの事件で後藤さんを知って、どんな取材をしていたのだろうと興味をもって彼の著書を買ったから。でも、わたしが同行させてもらった方は、「それは違う」と即答。どんなに影響力を持てても、死んでしまったら終わり。生きていてこそジャーナリストでいられる。そんな答えだったように思う。
確かに、いま、わたしたちはニュースで流れる安田さんの声に耳を傾けている。これからも彼の発信することは注目されるだろうし、その影響力を平和のために使おうと思えばきっと可能性は無限大だ。死を意味付けすることはいくらでもできるけれど、生きていたらこの先も自分の手で可能性を広げられる。


紛争地で危険な目に遭った方に対して、「自己責任」だと考える人は必ずいる。危ない地域だとわかっているのに行って殺されるのは自分が悪い。そんな人を助けるためになぜ国がお金や人手を出さなければならないのか、等。
これには明確に反論したい。わたし自身は危ないことはしたくない性格だから、勝手な論ではあると思う。けれど、危険な場所にわざわざ出向いた人の文字や映像は大事に受け取りたいと思っている。発表モノのニュースだけでは、本当は何が起こっているのか、そこにいる人はどんな顔をしていてどんなことを思うのかわからない。
現実に密着した視点を知れないと、戦争に反対するのも上っ面になってしまう。だから、わたしの目の代わりになってくれている人を、不運に見舞われたというだけの理由で責めることはできない。


わたしたちには突然に見える帰還だったが、当然、裏で交渉もあっただろうしお金も動いていただろう。利害関係上は誰の勝利だったのか、裏の駆け引きはわたしに見えるところでは行われていないし、知らされないから考えないことにする。


飛行機内の安田さんの言葉で印象に残ったものがある。
大好きなコーヒーを入れている時間だとか、そういう当たり前のことをなぜもっと大事にしてこなかったのだろう、と。
絶望の日々の中で、彼はこんな些細なことを魂の底から求めたのだろう。
生きて還って来られてよかった。カメラはなくなってしまったけれど、できる方法で発信していってください。