高校生から……8年の月日

2011年3月11日。わたしは頭空っぽの女子コーセーだった。
学校、ブカツ、家に帰ってテレビ。ありふれた平均的な高校生活。
面白くないことの方が多かったけれど、そのルーティンの外にはみ出そうとはしなかったし、辛いことにも無理に自分を順応させていた。


あれから8年。震災関連のテレビを見ると、当時のわたしとそんなに変わらない中学生の子が、震災を「覚えていない」と口にしていた。
そして思った。「あの時」はどんどん離れていってしまっているのだなあと。


わたし自身の8年を振り返る。
頭空っぽの女子コーセーは、これではやばいと思い必死に受験勉強をした。
何とか希望の大学に入り、そこでも漫然と日々を過ごすこと約1年。講義がきっかけではたと気づく。
わたしの世界ってとてつもなく狭いんじゃないか?もっと違う世界を見た方がいいのでは?いや、見てみたい!
同時期に将来のことを考える必要も出てきて、これまでボケっとしていた分の巻き返しも図りつつ、ようやく進路のめどを立て。
幸運にもやりたい仕事に就けて、でも現実はやりたくないこととか、やらなきゃいけないことも面倒くさいし多いなあ、と思っている。ここが現在地。


わたしは震災のとき都内に居て、自分自身も家族も友だちも、被害を受けた人は身近にはいない。
加えて自分の生活圏以外のことに興味もなかった。大変な思いをしている人が数えきれないほどいるのに、思いを馳せられないほど子どもだった。
だから震災のニュースも、死者の数字が増えていって怖いという感覚、原発に関して聞きなれない言葉が飛び交っていて、何か大変なことが起きたらしいという感覚だけだった。


あの時よりも少しはニュースを見るようになって、本を読むようになって、人と会話をするようになって。
あの時は見ていなかったものを見る。考えなかったことを考える。
人の痛みを思うのは、想像でしかないから限界があるけれど。
それでも、わたしは今、知ろうとしないことが罪だということに気づく。


何周年という節目にだけ、言葉を発するのは無責任だとも思う。
だけど、抗いようもなく薄らいでいってしまう記憶をとどめておくために。
この日くらいは、ちゃんと東北のことを考えられたらと思うのです。


あの災害で亡くなられた方々が、天国で幸せに暮らせますように。
今も苦しんでいる方々の、これからの未来が少しでも明るくなりますように。