5年日記、4年目

学生のときに買った5年日記をつけ始めて4年目。


3月9日なら同じ日付の日が一ページに5段、2016から2020まで並ぶ。
飽き性なので数か月つけないこともあれば、真面目に毎日つけている時期もある。
特に忙しくて充実していた時期には、日記になど気が回らず埃が積もるくらい放置していたことも。


当時は何となく先行きが不安で、定点観測のようなものが欲しくって買ったような気がする。
特に将来のこと。やりたいことはあったけど自信がなくて、人と同じところに進むのも嫌でわたしは就職活動をしなかった。
これで良かったのかなー。この選択の結果、5年後にはどんな未来が待っているのかなー。なんてことを毎日思っていた。


3年前、まだまだ先だと思っていた2019年はあっという間に来て、当時思っていたほど結果のようなものは見えていない。
一応就職はしてみたものの、やっぱりこれからどうしようかなあという気持ちはあるし、こうなりたい、こうなりたくない、っていうものも、見つけて探しているところ。


でも考えていることはそんなに変わっていなくても、3年前には学生特有の青臭さもあり。
今日のページの上段を眺めると、恥ずかしかったり羨ましかったり、いとおしい気持ちにもなる。


人は少しずつ成長するものだなあと実感する。
定点観測がなくても、その時々をしっかりと踏みしめられる人になりたいなあとも思う。

女性の日

3月8日、国際女性の日。


何年か前の今日、ベトナムにいた。
店の前にプラスチックの机と椅子を並べての宴。
物売りの人が後ろから話しかけてくる。
いつも多いのは宝くじや雑貨だけど、この日はバラの束を持っていた。


わあバラだ。そっか女性の日ですもんね。そんな会話をしていると、一緒に飲んでいたベトナム人の男性(知り合いの知り合い、くらいの人で初対面)がすっと一輪をもらってお金を渡し、わたしにくれた。もちろん深い意味はなく、到着したことを歓迎して贈ってくれたものだ。
連れの日本人もそのバラを買った。写真を撮って奥様に送るという。


バラを送るなんて気障、と言われてしまうけれど、気持ちを表すためにこういうのも悪くない。

大人言葉

大人って何歳からだろう。
世の中には妙に大人びている小学生もいるし、年齢を重ねただけで中身は子どもだなあっていう60代もいる。同じ人でも、どこで何をしているかで変わってくる。


何をもって大人とするか、色んな尺度はあるだろうけど、ひとつわかり易いなと思うのが言葉だ。
例えば「ごめんなさい」じゃなくて「恐れ入ります」、「そうなんですか」じゃなくて「左様でございますか」、「できません」じゃなくて「致しかねます」。


こういう言葉は文字にすると何だか角ばっていてとっつきにくい。
それに、あんまり若い人が使っていると、身になじんでいないようにも思ってしまう。
それにもちろん言葉のTPOもある。仕事でやり取りをする取引先なんかが相手ならよいけれども、いつも顔を合わせる職場の人に使うのは違う。


使うべきときに相応の相手に、考えた風じゃなく自然に、こういう言葉が出てくる人は大人だなと思うのだ。


わたし自身は、大人言葉を使うこともあるし、使えないこともある。
仕事の電話で初めて話す相手には使える場合もあるし、背伸びしているように見られたら恥ずかしいなと躊躇してしまうこともある。
少しやり取りをした仕事相手には、親しみを持ってもらうために敢えて使わない場合もある。


今すぐ使えるようにならなくても良いのかなと。
年齢や経験を重ねて、大人言葉も似合うように成長したい。


ちなみに、仕事や電話で必要以上に高くなる声は、男女問わず嫌いだ。
内容よりも印象が、キンキンと頭に響いてしまう感じがして。
そんなに可愛い子ぶらなくても、そんなに下手に出なくても、話の内容で誠意や人柄を伝えれば良いのに。と思ってしまう。
しっかりとした地声で丁寧に話している人は、格好いいし信頼できるなとも感じる。